広島高等裁判所岡山支部 昭和29年(う)362号 判決 1955年6月30日
控訴人 検察官
被告人 塩田喜和好
弁護人 松岡一章
検察官 志熊三郎
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五千円に処する。
右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は検事岡谷良文作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであつて、これに対する答弁は弁護人松岡一章作成名義の答弁書に記載してあるとおりであるからこれ等を茲に引用する。
所論の要旨は原判決は事実を誤認したか又は法令の適用を誤つたかの違法があり、此の違法は判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決は破棄を免れないというのである。そこで原審並に当審に於ける事実取調べの結果にもとづいて次のとおり判断する。
原判決は本件公訴に係る事実は「被告人は国鉄宇野線信号保安係であるが、昭和二十八年七月二十四日午前十時過頃迫川駅構内第五十一号ポイントの標識板取替作業を行つたが、その取替の際昼間用の標識板と夜間用の標識燈とは孰れも上下線開通方向に一致させなければならないのに、昼間用の標識板のみ右ポイントの上下線開通方向に一致させ、夜間の標識燈はポイントの上下線開通方向と反対にしたまま放置して作業を終えたという業務上の過失によつて、同日午後七時四十七分同駅発下り第二四一列車の発車に際し始めて昼間用信号から夜間用信号に替つたので、右ポイントが下り線開通でないのに標識燈のみ下り線開通を示す橙色にしたが為、同駅転轍係の三宅四郎並に当務駅長代理である中山英男をして右ポイントは下り線開通になつているものと誤信させ、同ポイントを上り線開通(即ち下り線不開通)のままで右列車を発車させたので同ポイント通過の際同列車の機関車前輪を脱線させ、以つて汽車往来の危険を生ぜしめた」というのであつて、右の事実は司法巡査年岡誠作成の実況見分調書、実地検証の結果、証人三宅四郎、同中山英男、同勝田重一、同福永正勝、同市川万亀雄の各証言、被告人の原審公廷に於ける供述によつて之を認めることは出来る。が然し前記各証拠、国鉄の運転取扱心得及び同細則並に経験則に照らすと
第一標識燈(標識板)は主として当該駅当務職員に、次の列車の上り下りの方向を指示する性質のもので、列車の機関手が之によつて発車したり、停車したりするものではないこと勿論であつて、被告人の前記過失行為のみにては通常自然の因果関係進行の状態では列車脱線の結果は起り得ない。
第二転轍手は標識燈(標識板)に左右されて作業すべきものではなく、必ずポイントの現位地に赴いて転轍し、且尖端軌条の密着を確認すべきものであるのに、転轍手三宅は他人が転轍したものであらうと想像してポイントの現位置に到つて転轍もせず、尖端軌条の密着の確認をもしなかつた、之は国鉄の如く職務分担が明確に区分され、各職場は規律的機械的に各運営さるべき機構規程になつているにも拘らず、右三宅の行為はそれに反し、予測し得ない偶然な過失、稀有の怠慢事といえる。
第三当務駅長代理中山は標識燈が橙色であるのを見て、信号てこ(俗にレバーと称せられる)を引くのは当然であるが、連動装置が動作しない為四番出発信号が反位(進行)にならず危険信号を示したままになつているのに不拘、ポイント等の現位置についてその原因を確認せず、且何等之が処置も構ぜずして代用手信号によつて列車を発車させた此のことも亦各職場の操作が最も機械的、規律的に運行されて初めて全運営の完全且安全を期せらるべき国鉄組織機構上に於ては殆ど常識を以つて考え及ばない反規則的なルーズな偶然稀有の重大過失である。
駅長代理がかかる行為をするに於ては、かかる危険を絶対に生ぜしめない為めの防禦設備として信号保安係が厳重に施錠して取付けてある重要な連動箱の装置の役柄は全く無用、無意味のものとなる訳であつて、駅長代理中山の介入行為は、本件の結果に対し、それ自体偶然にして決定的な原因力を与えたものということが出来る。
第四連動箱の施設はポイントが現実に切替えられていないか、ポイントに故障があるときは、標識燈(標識板)その他の事情の如何に拘らず、常に信号レバーが引けず、従つて出発信号機は危険信号を示したままとなつている仕組になつているので之等は信号保安係の責任に於ける一環した施設であつて、いい替えれば、如何なる場合でも列車を発車させんとする場合信号レバーが引けず、従つて出発信号機が危険信号を示している時は必ず駅務員はポイントを実地に調査し、故障を排除した上でなければ列車を発車させてはならない。若しレバーが引かれず、従つて出発信号機が危険信号を示しているのに拘らず、そのまま発車し、又は発車させた場合に起る責任は、それを発車し、又は発車させたる者の責任であつて、信号保安係員の負うところでないという表示を、信号保安係(員)が連動箱装置及び信号機との連動装置によつて表示しているものとも判断することが出来、信号保安係(員)としては標識燈(標識板)のほかに連動箱、信号レバーの機動禁止、出発信号機の危険信号との連動装置によつて列車進行の危険に対しては万全の施設をしている。
ことなどを認定することが出来るから、被告人の右過失行為のままでは因果関係の進行に於て列車脱線の結果との間に於て転轍手三宅及び駅長代理中山の過失行為の介入は全く予見することの出来ない偶然稀有の事情(レバーが引けず且出発信号機が危険信号を示しているのに、発車さすことが稀有であるのに、その原因を確めずしてそのまま発車させることは愈々稀有の出来事である)が新に附加せられたが為めに偶然なる因果の連絡が形成されたと見るべき場合に属し、又前記被告人の過失なる同一条件が他の場合に仮に存在するとしても、列車脱線と言う同一結果は主観的に見ても客観的に見ても、惹起することは予想し得ないところである。故に本件の場合被告人の前記過失行為と列車脱線なる結果との間には刑法上有責なる相当因果関係を認める訳には行かない。即ち甲条件(原因)なかりせば、乙結果は起きなかつたであらうと云うような因果関係の条件的な考え方によつて直に刑事上可罰の責任を問うことは出来ないとして無罪を言渡したものであることは原判決書に明かである。
そこで以上の諸点について検討を加えると、
第一国鉄職員の組織、機構について
国鉄に於ては運転取扱心得及び同細則などによつて、列車運行に関する現業職員について職員の職務分担を明確に区分し、各職員の職務は規律的、機械的に運営されるように定められていることは原判決の説くとおりである。
然しながら各職場職場に於ける各職員の職務はそれぞれ分担区分されては居るものの、全く別個独立に対立しておるわけのものではなく、国鉄の列車を安全に運行するという最高目的に統合せられ、有機的な連繋を保ち、有機的に累積されて列車運行の安全の確保が図られている。従つて各職員の職務は全く無関係なものではなくして、多くの場合甲職員の職務の遂行に次いで乙職員の職務が開始遂行せられ、更に丙、丁以下の各職員の職務が順次遂行せられるよう仕組まれてをり、又之等職員の職務の遂行は屡々種々な機械設備の操作に連結されているもののあることは顕著な事実である。
然して此の場合機械設備が精巧であればあるほど、機械設備の機能を過信し、之に連る他の職員は之を前提として自分の職務の遂行に移るであらうことは、右のような国鉄職員の職務の性質上当然なことである。又それと同時に機械設備が如何に精巧であるとはいえ、時に故障がないとはいえない。一連の機械設備の一つに円滑な操作が行われないものがあれば、之に連る他の機械設備が外形上正常さを示してをるならば、それが正常であると信じ、之が故障であると即断し易い危険のあり得ることも考えられる。もとより此の場合精密な検査をして、その操作の阻害された原因を究めることなしに自分の職務に連る他の職員の職務を開始させてはならないことは服務規律上命ぜられているところではあるが、(前掲運転取扱心得等参照)それにも拘らず、国鉄職員は正確な時刻表によつて職務の遂行を要求されているわけであるから、此の要請に応えるためには右の服務規律に反し、高度に人の迅速な判断に依存せざるを得ない場合のあり得ることも亦想像に難くない。此処に厳格なる服務規律と、事故を未然に防ぐための様々な精巧な機械設備とにも拘らず、国鉄職員が事故を惹き起す過失を犯す可能性と、一職員の過失が之に連る他の職員の職務上の過失を誘発させる危険性のあることの根源が胚胎しているものと解することが出来る。
第二ポイントの標識器の性質について
之は転轍手が列車の上り下りに応じて列車を正規の方向に進行させるようポイントを切り替え、尖端軌条を開閉せしめた結果を表示するものである。此のポイントの標識器はポイントの連動装置によつて駅長が列車の発車又は駅構内えの進入許可を合図する信号機に連なり、更に信号機はレバーによつて操作され、此のレバーはポイントが上り下りに応じて切り替えられていない限り引くことが出来ないように設備して以つてポイントの事故防止をレバーの操作にかからしめたものであるという。原判決の説くように此の標識によつて列車の機関手が列車を発車させたり停車させたりするものでないことは勿論であるとしても、駅の当務職員は此の標識を見て一応ポイントが正規の方向に切り替えられたものと信ずるであらうことが察知される。若し然らずとするならば標識の存在価値は恐らく認められないであらう。殊にポイントは常に転轍手が現位置に赴いて正規に切り替え、尖端軌条の密着を確認しなければならぬことに定められて居り、現実にも常に之が行われているというのであつて見れば、転轍手以外の当務職員は転轍の結果を表示する標識(燈)を過信するまでに信ずるであらうことは条理上当然であると考えられる。従つて仮りにその標識に誤りがあつたとしても、現に表示された標識を信じ、之に連る他の当務職員が之を前提として自分の職務の遂行に移るであらう危険性については前段説示の点とを合せて考えると当然に予想し得るところであるということが出来る。
第三被告人の過失と転轍手及び駅長代理の過失との関係について
被告人が標識板と標識燈との開通方向を一致させなかつたということは全く偶然な過失であつて、此の点はすべて明かなところであるから、先づ転轍手三宅四郎について見るに、当審で取調べた証人安藤裕の供述によると、迫川駅に於ては転轍手は三宅四郎唯一人ではあるが、他に貨物当務者である片山圭司を転轍の担務をせしめてをり。更に駅長の責任に於て転轍の仕事を一時的に代行させる場合もあるといい、又三宅四郎の原審公廷に於ける証人としての供述によると、同人が小荷物担当者に代つて小荷物の受付をした後便所に行き其処の窓から眺めたところ、標識燈は下り線開通を示していたので、従来の慣習に従つて誰かが被告人に代つてポイントを切り替えて呉れた者と信じて現場を確認しなかつたというのである。すると同人が現場を確認しなかつたということは、国鉄の機構上同人に課せられた任務よりすればまことに偶然稀有の怠慢事ではあるとしても、迫川駅の転轍に当る職員の状況並に前段で説示した標識燈の性質から考えるとき、外観上正常に現示している標識燈を見ては何人も同人と同様な錯覚に陥入る危険性については通常予見し得るところのものであつて、此の意味に於ては予想も出来ない偶然稀有の過失であるとはいえないものということが出来る。次いで駅長代理中山英男の場合であるが、レバーが引けないということは一応ポイントの故障と考えられるのであるから、必ずポイントの状況を調査すべきであるのではあるが、然し前段に於て説示したようなポイントの標識器の性質に鑑み、外見上正常に現示されている標識燈に対する信頼と、前記第一に於て説示した国鉄職員の機構に内在する矛盾とは同人を駆つてレバーの鎖の故障と誤信せしめるに至つたものと察知することが出来る。(尚同人は以前にもレバーの鎖の故障に遭遇した経験があるので、本件の場合にも鎖の故障と考えた旨の供述をしてをる)従つて駅長代理がかかる錯覚に陥入る危険性についても一般に予見し得ない性質のものではないと解する。
かく解すると転轍手三宅四郎の過失行為も、駅長代理中山英男の過失行為も、その事柄自体はまことに偶然稀有であるには相違ないとしても、全く予見し得ないところのものではなくして、被告人の過失が転轍手の過失を誘発し、被告人及び転轍手の過失は更に駅長代理の過失を誘発し、同人の過失の根源をなし、遂に機関車脱線という事故にまで発展したものと断ぜられる。
第四原判決の因果関係中断の理論について
原判決は転轍手及び駅長代理の過失を以つて、偶然稀有な過失であるとし、之が被告人の過失と本件事故との間に介入しておるので、被告人の過失と事故との間の因果関係は絶たれると説くのである。
然しながら一般に因果の関係を中断すべき介入過失として説かれている偶然稀有なる過失とは、その事柄自体が偶然稀有であることを意味するものではなくして、当初の過失とは無関係な、全く予想も出来なかつたような偶然な原因によつて惹起された過失を意味するものと解すべきである。
然るに本件の場合に於ては既に説示したところによつて明かなように、転轍手の過失も、駅長代理の過失も共に被告人の過失と全く無関係な何人も予想もなし得ないような偶然稀有な原因によつて惹起されたものではなくして同人等の過失が相次いで誘発される危険性のあることは一般に予想され得るところの被告人の過失の結果がすべての根源をなしているのであるから、いわゆる因果の関係を中断すべき性質の過失は存在しない。原判決は此の点に於て根本的な誤りを犯しているものと認められる。
更に又原判決はたとえ被告人の過失がなくとも、転轍手や駅長代理の過失のみでも同一の結果が発生し得たというのであるが、同人等の過失が被告人の過失と無関係な別個独立の原因にもとづいたものであるとするならば之は首肯し得るところであるとしても、事実は之と異り共に被告人の過失の結果を過信したが故に、本件のような過失を犯すに至つたものである。仮りに被告人の過失があつたとしても転轍手及び駅長代理が特別周密な注意力を有していたならば、本件事故は防ぎ得たであらうことは事実であるとしても、同時に又被告人の過失さえなかつたならば同人等は共に本件のような過失に陥入らなかつたであらうことも亦推察するに難くない。
然しながら被告人の過失がなかつたとしても尚且列車脱線の結果を惹起する過失を犯したであらうとの推定は本件の前提の下に於ては許されまい。
要するに本件事故はもとより被告人の過失のみにては惹起されないところのものではあるが、被告人の過失は転轍手の三宅四郎及び駅長代理中山英男の過失を誘発し、三者の過失が相俟つて本件事故を惹起したもので、被告人の過失と本件事故との間の因果関係は充分に之を認め得べく、従つて被告人は本件過失の責任を免れることは出来ないものと解する。
然るに原判決は前記のように、転轍手三宅四郎及び駅長代理中山英男の過失の性質及び因果関係中断の理論を誤解し、被告人の過失の有責違法性を否定して無罪の判決を言渡したのは、事実を誤認したか又は法令の適用を誤つたもので此の結果は判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決は此の点に於て破棄を免れない。
論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三九七条、第三八二条、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は日本国有鉄道の職員であり、昭和二十六年四月頃より宇野線彦崎駅八浜駅間の信号保安係として勤務している者であるが、同二十八年七月二十四日午前十時頃宇野線迫川駅構内第五十一号ポイントの標識板取替作業を行つたが、作業終了に当つては、昼間用の標識板と夜間用の標識燈とのいずれもが連動操作になつている右ポイントの上下線開通方向に一致しているか否かを調査し、その合致を確認しなければならないのに拘らず、不注意にも取替の際昼間用の標識板のみ右ポイントの上下線開通方向に一致させ、夜間用の標識燈はポイントの上下線開通方向と反対にしたまま放置して作業を終了した業務上の過失により、同日午後七時四十七分同駅発下り第二四一列車の発車に際し、はじめて昼間用信号から夜間用信号に替つたので、右ポイントの下り線開通でないのに標識燈のみ下り線開通を示す橙色にしたため、同駅転轍手三宅四郎及び駅長代理中山英男をして右ポイントは下り線開通になつているものと誤信させ、同ポイントを上り線開通(即ち下り線不開通)のままで右列車を発車させたので同ポイント通過の際同列車の機関車前輪を脱線させ、もつて汽車往来の危険を生ぜしめたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の右所為は刑法第一二九条第二項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するから所定刑中罰金刑を選択してその所定の罰金額の範囲内で被告人を罰金五千円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第一八条に従い金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、原審及び当審における訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項により全部被告人に負担させることとする。
そこで主文のとおり判決する。
(裁判長判事 宮本誉志男 判事 浅野猛人 判事 菅納新太郎)